23歳、うつで退職。おばあちゃんの団地で、もう一度生活を始めてみる

低燃費ライフ

畳の部屋って、こんなに落ち着くものだったんだな、と最近よく思います。

朝、目が覚めると、少しくすんだ天井と、やわらかい光が差し込む窓がある。

外ではカラスが鳴いていて、遠くで誰かの声がする。

静かで、ちょっと古くて、時間から取り残されたみたいな場所。

でも今の私には、このくらいの静けさが、ちょうどいいんです。


少し前まで、私はもっとにぎやかな場所にいました。

人も多くて、明るくて、ちゃんと頑張っている人たちの中に、自分もいなきゃいけない気がしていて。

ちゃんと働いて、ちゃんと評価されたくて、それなりに疲れて。

それでも「これが普通なんだ」って、自分に言い聞かせていました。

でも、ある日を境に、体力がすっかりなくなってしまったんです。


朝、起き上がれない。

電車に乗るだけで息が苦しくなる。

帰宅して部屋に寝転がると、理由もなく涙が出る。

気づいたときには、もうどうやって元に戻ればいいのか、わからなくなっていました。

「1周目」の終わりと、全滅したあの日

働き始めて1年で仕事を辞めました。

ここから自分だけ大きく道を外れてしまった気がして。

周りは「これからだよ」と言うけれど、
その「これから」に進むための体力が、もう残っていなかった。

何も考えられないまま、私はおばあちゃんの住む団地に向かいました。

会社帰りに、ほとんど逃げるみたいに。

突然訪ねたのに、おばあちゃんは驚きもせずに、
「とりあえず、上がりなさい」
そう言って、湯のみに入れた温かいお茶を出してくれました。

そのときのぬくもりが、妙にリアルで、やっとどこかに戻ってこれた気がしました。

団地での「2周目」は、おばあちゃんとお茶から始まった

休職、退職を経て祖母の部屋に引っ越し。

ここに来てから、やっと少しずつ考えられるようになってきました。

これはやり直しじゃなくて、一度立ち止まったあとに始まる生活なんじゃないかな、って。

前みたいに、無理して自分を引っ張っていくことは、もうできないと思う。

というか、したくない。

だから今は、自分の体力を確かめながら暮らしています。

朝起きられる日もあれば、なかなか布団から出れない日もある。

ちゃんと家事ができた日は、それだけでほっとします。

今やっているパートのお仕事を終えた帰り道は「今日はこれで十分」って思うことにしています。

前はもっと頑張れたのに、と思う日もあります。

でも今の自分には、今のペースがあるんだと、少しずつ思えるようになってきました。


団地での暮らしは、不便なことも多いけれど、変に焦らされることがなくて。

おばあちゃんの家には、長く使われてきた道具がたくさんあります。

少し重たい包丁は、手にしっくりなじむ。

音の大きいやかんは、底がうっすら黒くなっていて、何度も火にかけてきた跡が残っている。

くたびれているのに使いやすい布巾も、ちゃんと毎日の役に立っています。

新しくて便利なものではないけれど、手に持ったとき、なんだか安心するんです。

最近は、祖母が古くなって使いにくいと話した時は、一緒に探して買うようにしました。

祖母が元々持っていたものだけだった部屋に、二人で選んだものが入り始めました。

これがあれば、明日の家事が少し楽になるかもしれない、と思えるもの。

そんな小さなことが、今の私の生活を支えてくれています。

正直、これからどうなるのかは、まだよくわかりません。

またフルタイムで働いて独り暮らしができるようになるのか、このままここで暮らし続けるのか。

先のことを考え始めると、少し怖くなります。

でも、前みたいに無理をして体力を使い切ってしまうより、
今の方がずっといいとも思っています。

もし今、同じようにしんどさを抱えている人がいたら。

ちゃんと前に進めていなくても、大丈夫だと思います。

私もまだ途中だし、むしろずっと途中のままかもしれない。

それでも、こうして朝が来て、少しずつ生活を続けています。

そんな日々を、ここに書いていこうと思います。

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